旦那さんの誕生日なのに、何故かお葬式について語ろうとしている、かめびわんwithびわらぼのクミです。
さて、最近目にした記事がこちら。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190208-00000014-sasahi-life&p=1
お葬儀がなくなる?
というような内容の記事です。
元納棺師の私の考えを少し書いておきたいなと思い、ブログのテーマにさせて頂きました。

この記事に書かれているように、お葬儀にかける費用は、それぞれ個人差もあるし、もったいないと思って縮小する方や、故人の遺志で小さくするなど、本当にいろんな考え方があって、それはそれでいいのかなと思っています。
それに、住んでいる地域によっては、地域とのかかわりがなかったり、故人様が長く入院されていた場合などは、お友達との繋がりも薄れてしまっていることも多いと思います。
ただ、お葬儀に少しでもかかわってきた中で、よく耳にしてきたことは、親族以外の方の、お別れくらいしたかった・・・という想いなんですよね。
もちろん、お葬儀をどうするかというのは、ご遺族様の意思なので、その思いに寄り添って進めていく事がいいのかもしれないのですが、
故人様と個人的に仲良くされていた方や、古くから付き合いのあるご近所さん、趣味の教室のお仲間、など、故人様と直接関係があった方達は、友人を失った喪失感と、きちんとお別れできない寂しさを抱えている方が多いのです。
身内じゃない人の気持ちなんてどうでもいいわ。
と思われる方も多いかもしれないし、その気持ちもわからなくはないです。
私は、26歳の時に母が亡くなり、諸事情で喪主を務めました。
ものすごく急なことだったので、母が個人的にお世話になっていた方を調べる余裕もなく、半ばあきらめていたのですが、たまたま、日程的に、亡くなった翌日の通夜となったので、少し整理をする時間があったのです。
そこで、母の古い手帳を見つけ、関係性もわからないまま、何となく聞いたことがあるお名前の方に連絡を取り、知り合いに伝えてもらったりしました。
その作業をしているときに、母にあてられた一通の手紙を見つけたのです。
母との関係性はよくわからないままなのですが、この方には連絡した方がいいのではないかな?と感じて、連絡をしました。聞いたこともない方でした。
「覚えてるのかな?」
「急に連絡をして迷惑じゃないかな?」
と、とても緊張したし怖かったのを覚えています。
来てくれないだろうな。と思いながらも、その他の方にもいろいろと連絡をしました。
それは、お香典が欲しいとかもちろんそんなことじゃなくって、私の口から、生前にお世話になっただろう方々にお礼をお伝えしたい気持ちと、母の人生の終わりを知っておいてほしかったからです。
皆さんの記憶の中に母はいた。でも、彼女の人生は終わったのだということを、知っておいてほしいと思ったのです。
お式の当日、沢山の方が来てくださっていました。
頼りなかった私は、結局しっかりとお礼の言葉も一人一人にお伝えすることはできなかったのですが、お手紙を見つけて連絡した方も来てくださっていて、
「本当に、本当に、呼んでくれてありがとう。
まさかこんな早く亡くなるなんて思ってはいなかったし、
とっても悲しいけれど、最後にお別れさせてもらって本当に感謝します。」
とおっしゃったのです。
ご迷惑ではないだろうか。と思っていたのに、心から感謝の気持ちを伝えられました。
そのことが後々に、私が納棺師になろうと思ったきっかけの一つにはなっています。
声をかけてよかった。
お別れに来てもらえてよかった。
痩せて小さくなった母の姿を見られて、母が不憫だなと思う気持ちも全くなかったし、母は最後まで立派に生きたし、私の自慢の母だった、という想いがさらに強くなりました。
私自身もそうですが、最後のお別れをきちんとすることで、感謝の気持ちだったり、やりきれない気持ちだったり、悲しみや胸の痛みや、なんで?という想いを本人に語ることができます。
届いているのかどうかは答えは出ません。
でも、顔を見て、胸の内を伝えて、ありがとうを精一杯伝える。
それは、身内じゃなくてもそうしたい想いがあることも多いと思うのです。
どの選択も、皆さんが考えて、悩んで決めた答えなので、本当に尊い選択です。
でも、古来から、お別れの儀式とういうものを大切にしてきたことには、やはり意味があるのではないかな?と感じます。
実際、納棺の儀を通して、故人様のお顔も随分和らいで来られることも多いんですよ。
故人様の遺志としては、自分の為にお金を使ってほしくない。
面倒をかけたくない。
という気持ちもあるでしょう。
病気で亡くなっていかれた方は、やせた姿や、変わってしまった姿を見られたくない。
そういう気持ちもあるでしょう。
だけど、残された私たちは、その姿を尊び、その方が生きた証を胸に刻み、また歩き始めるのです。
私が納棺師として活動した時間は本当に尊い時間の共有でした。
残された悲しみの中で、故人様を偲び、思い出を語り、ともに笑ったり、ともに泣いたり、故人様の武勇伝を聞かせてもらったり、時には、苦労が絶えなかった話を愛おしさ一杯に伝えてくださったり。
お別れに見えた、ご友人のお話を通して、家族が知らない一面を垣間見ることができたり、改めて、尊敬しなおすことが沢山見つかったりもするのです。
お葬儀そのものにお金をかけろとは思ってません。
見栄や、体裁だけで大きな式をするのもそれこそ故人様の遺志に背くかもしれない事。
(お仕事や、お家の都合でそうせざるを得ない場合もあるので否定はしません)
だけど、お別れくらいはしたかった。と思ってくださる方が少しでもいるかもしれないということは記憶の片隅に残していただければなぁと思います。
最終的には、ご遺族様がどうしたいか。にゆだねられるし、その気持ちも尊重することだと思うので、結果、何が言いたいのかわからない感じにまとめようとしていますが・・・
私は、母の知り合いに来てもらって、お別れして頂き、つたないながらも生前お世話になった感謝の気持ちを自分で伝えられたことはよかったなと思っています。
お葬儀の事ってわからないことも多いかと思うので、ネットの情報や、お葬儀やさんのいうことだけに振り回されるのではなく、可能であれば、普段からそういったお話ができていると良いのかなぁとは感じます。
最近は、終活カウンセラーの方もたくさんおられるので、そういう方のお話を聞いてみられるのも良いかもしれません。
私でよければ、お話くらいは聞きますしね♪
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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