急なタイトルですが、自分自身がようやく向き合えるようになってきたテーマなのです。
今現在、私自身が大病を患っているわけではないのですが、自分自身が長年抱えている症状も含めて、病と向き合っている方と向き合うことにハラが決まった感じです。
なぜ、そこに意識を向けているのか。
なぜ、そういう風に思ったのか。
そういったことを書いてみました。
今日はちょっと真面目にスタート
見送ってきた大切な人(父)
見送ってきた大切な人(母)
見送ってきた大切な人(婚約者)
納棺師時代に思ったこと
全ての後悔から思う事
でお届けします。
1.見送ってきた大切な人(父)
私の父は、糖尿からの肝硬変で40代半ばで亡くなりました。
あちこちで書いているので、ご存知の方も多いかもしれませんが、父は余命宣告(3か月)されてから西洋医学を離れ、我が家は突然、東洋医学&食事療法に完全に切り替わりました。
玄米正食で徹底した食事。
タバコもお酒もきっちりとやめて、甘いものも口にしなくなりました。
かなり徹底していた姿を見て、逆に命が長くないのかも?と不安になったりしてしまうこともありました。
ただ、そのおかげもあったのか、3年ほど寿命を延ばし、仕事の大きなプロジェクトもほぼやり終わり、納得ではないけれど、少しはやりたいこともしてから逝けたのかな?とは思います。
私の中でも、父と母の努力も見ていたので、残念さや、悲しさや寂しさは当然あるものの、どこかで納得というか、悔いがない感じはありました。
父の口癖は「おとうちゃんはインベーダーやからしなへんねん」(今思うと良くわからんけどww)だったのですが、亡くなったとき「全然インベーダーちゃうやん。死んでるやん」
っておもって涙が止まらなかったことはよく覚えています。
★今やったら、色んな事自分がしてあげることもできるのになぁ。
2.見送ってきた大切な人(母)
母は、大腸ガンでした。
しかも判明してから、たったの15日で亡くなりました。55歳でした。
母のガンに対しては、後悔や無念さしか残っていません。
私の母の場合は、かなり我慢に我慢を重ねたうえで、病院へ行き見つかったときには、すでに手遅れな状態だったのです。
母は、病気になったときには辞めていたのですが、父がお世話になった東洋医学の施術院で父亡き後働いていました。
末期ガンの方や、重度なアトピーの方、父と同じように肝硬変の方など、病院から見放されたような患者さんをたくさんお世話してきていたので、内視鏡のフィルムを見た時に、自分の症状を自覚していたようです。
私は、最悪の事態が起こらないことを願うことくらいしかできなかった。
亡くなった当日も、母が大丈夫やから同じように毎日を過ごしてほしいという言葉を信じて(信じていたというか怖くて信じようとしたという感じです)横浜に出張に行っていた時に連絡を受け取りました。